映画の歴史
シネマトグラフ
「シネマトグラフ」
覗き込み式の箱型で、1度に1人しか
観られないことや、1台に1つの映像のみ
の搭載であるいうキネトスコープの難点を
解決したのが、フランスのリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」です。
写真用の乾板や印画紙の製造工場を
父親から引き継いで経営していた兄弟は、
パリでキネトスコープを実際に見て衝撃を
受けた父親から促されて映写機の研究を
始め、1985年にシネマトグラフを発明。
シネマトグラフは、アーク灯と水レンズを
使うことによってフィルムをスクリーンに
投影するタイプの映写機で、これによって、一度に大人数で同じ映像を観ることが可能になりました。
兄弟は試写会を繰り返した後、1985年12月28日、パリ・キャピュシーヌ通りにあるカフェで
最初の一般向け有料上映会を開催。
この上映会は話題を呼び、初日には35人しかいなかった観客が、1週間で延べ2500人にも
なったそうです。
この時に上映されたのは、数秒から数十秒の短い映像10本程をまとめたものでした。
その中には、有名な作品「工場の出口」も含まれています。兄弟の営む工場からたくさんの
労働者たちが出てくるという50秒程の映像で、資料映像として目にした事がある方も
多いでしょう。
また、その数年後に、列車がラ・シオタ駅に到着する様子を撮影した
「The Arrival of the Mail Train」という50秒程の映像を公開した際は、進んでくる列車の迫力に驚いた観客たちが席から逃げ出したという逸話も残っています。
シネマトグラフの発明によって、それまでのキネトスコープパーラー興行者達が持っていた、
一度に多くの観客を集めて映像を上映して多くの利益を上げたいという望みが実現しました。
また、彼らはキネトスコープに取り付けられていたフィルムを取り出してシネマトグラフで
上映するという手段も使うようになり、更に利益を上げていくことになります。
こうして、キネトスコープの後に登場したシネマトグラフが、現在の映画上映のスタイルの元と
なりました。
しかし、現在の映像鑑賞の仕方についてよく考えてみると、映画館での映画鑑賞としては
シネマトグラフのスタイルであるものの、パソコンやスマートフォンや個人用テレビで1人で
映像を観るのはキネトスコープのスタイルに似ている気がします。
シネマトグラフの登場で悔しい思いをしたエジソンがそのような現在の映像鑑賞方法を見たら、
どう思うのでしょうか。